2013年06月12日

安全な暮らしと水はタダではない?


先日、ある自然環境を研究されている方の著書を読み、その中で、「日本人は安全な暮らしと水はタダだと思っている」という指摘をした言葉が書かれていました。


湿気多く、季節は1年を通しても比較的に穏やかでがで全体としては温和な自然の島国である日本。
古事記の記述によると、日本は「豊葦原の瑞穂の国 (とよあしはらのみずほのくに)」とされているそうです。

豊かに広がる葦原のように、みずみずしく美しい稲穂が実る国。
弥生時代の頃から低地に定住して米作りをする生活が始まり、河川の氾濫平原や湿地は、米作りに最も適した土地として、豊かさを象徴する存在になったのではないか。…とのことです。


古の時代から恵まれた環境の中で暮らしていた日本人。
「日本は安全な国」
そういう民族性や常識が長い歴史の中で育まれきたわけで、日本人が安全な暮らしと水はダダであると思うことは、ごく自然な成り行きなのではないかと思いました。


しかし、2011年3月11日に日本の太平洋三陸沖を震源として発生した東北地方太平洋沖地震。
この大地震は大津波を引き起こし、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらしました。

自然災害の大地震や大津波を経験して、私たち日本人に豊富な恵みを与えてくれる温和な自然は必ずしも安全を保障してくれるものではなかったのだと言う事に、私たち日本人は改めて気づかされることになりました。


普段は優しい恵みを与えてくれる自然ですが、時には人間にとって苛酷な運命を与えることもあるのだと、私たち日本人は忘れていたのかもしれません。

特に、大津波がもたらした被害は甚大で、原発事故により放射能汚染水が海に流れ出し、水道水までもが放射能汚染に曝される危険な事態になってみて、「安全な暮らしと水はタダ」と言う考えを改め直さなければならないと痛感させられました。


なので、本来であれば原発の安全設定は、「想定外」、ほとんどありえない事態まで予想した上で保障するべきものだったのではないでしょうか。

採算性を重視した結果が「3.11」の様な2重、否、何重とも言える被害を引き起こしてしまったものだと私は思います。


又、原発が使用不可能になった時の事も想定して、原発に代わる新たなエネルギーを開発しておくべきだったのではないかとも思います。

もう既に起こってしまったことなので、いくら世論が物議を醸しても全ては後も祭りで取り返しのつかないことですが、これからの日本の未来には安全なエネルギー・システムの研究、及び開発を、例え大変な投資が掛かるものだとしても徹底的に促進することが必要なのではないでしょうか。


原子力規制委員会が発表した「安全性を高めて原発の利用を続ける」と言う実はきわめて危ない選択肢ではなく、「原発というあまりにも危険なものを1日も早く止められるよう代替エネルギーを開発する」という安全に向かう選択肢を取るには、日本人の常識を変える必要があると思われます。


日本人が安全な暮らしと水を手に入れるためには、大きな投資と代償が必要になる。そんな日が近い日本の未来に訪れるのではないかと思います。

そんな事態に陥ってしまえば、水に関わる全ての物の値段か高騰してオイルショックならぬウォーターショックが起こり、日本国内のみならず世界を撒き込む経済混乱に発展してしまうのではないでしょうか。

温泉地や湧き水スポットは是非ともこれからの日本の新たなエネルギー開発に期待したいところです。
  


Posted by ワクトン at 17:46Comments(0)日本人と水